明石原人、いや君のことじゃないって。

明石原人
拍子抜けするほどに何もない。
ほんとにここが発掘現場なのか?

山口県のある都市で採用面談をするために自転車で京都を出発したのが2日前。前々から寄りたいと思っていた明石原人発掘現場へ。

”明石原人”

自分にとっては明石と言えば次に続くことばは原人だった。明石原人。明石で思い浮かべるのは日本標準時でも明石のタコでもなんでもなくて、”明石原人”。

もう日本には原人なんていないのさと分かってはいても中学、高校の教科書には太字で出ていた明石原人。明石+原人、この二つはセットだった。

しかし、やってきた現場はあまりに殺風景だった。
現場には何か記念碑のようなものが立っているだろうと思いながら走っていたので、そんなにスピードも出していないのに自転車で何度も現場前を通り過ぎてしまった。

いや、間違いなくここだろうとグーグルマップを頼りに着いた現場には金網のフェンスに一枚の案内板が掛けてあるだけだった。

現場にあったのは案内板一枚。
平成十二年とあったから今からもう20年以上前か。
既にここが化石化していたような錯覚にとらわれた。

本日のDLCから

シュワッチさん、明石へ。
一日何千人も訪れていた過去があった場所。
昔古い人骨が見つかり、明石原人ではないかと研究が行われた。
明石原人がいた証拠にはならなかったみたいですが、今もまだ結論が出てないということなので、もしかしたらまだ可能性あるのかなー?と思いました。
でももう骨は火事でなくなっている状態で、レプリカしかないと!その中で結論は出るのか??
シュワッチさんさんの「ロマンや~ロマンや~」がよかった。
日本に原人がいたかもというロマンダイジ! 17歳

明石原人のところから
まさかすぎてびっくりした。ポリティ

後日、明石市立文化博物館訪問。

明石市立文化博物館には、「明石原人」に関する展示コーナーがあり、人骨のレプリカが展示されていました。

【明石原人に関する博物館概要】

  • 1931年に明石市西八木海岸で発見された左寛骨(2年前に訪問)が展示されてる。
  • 発見者の直良信夫は旧石器時代の古いものだと考えていたが、戦災で失われた、誠に残念。
  • 戦後、人類学者の長谷部言人が東京大学に残されていた石膏模型をもとに、北京原人に匹敵する原人の骨であると発表した。
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