今日のアサカイはもうすぐ生まれてくる赤ん坊の話題ですっかり埋め尽くされてしまい、新聞記事ピックまでには至りませんでした。
そわそわ落ち着かないお父さんの前職は人材系、今はCSチームで活躍してくれています。その彼は明日が結婚記念日、そしてもう今やまさに第二子が実家で誕生しようかという場面にいます。
普段は都内に暮らしてそこで仕事してるんだけど、もう二ヶ月くらい前から奥さんの地元、出雲の国に里帰り、今度の出産は自分も立ち会うぞと周りの皆さんに立ち会った時どうでしたかなんてきいてました。
ですから、連絡事項の確認が終わった後はそのことに話題が集中しました。とても新聞記事ピックにはたどりつきそうにありませんでした
そんな時、わたしぱっと閃きました、そして皆さんに質問しました、次のように。
赤ん坊、そういえば赤ん坊はなんでで生まれたとたんにオギャーオギャーと大きな声で泣き始めるか皆さんごぞんじですかと。
僕が知っている理由は2つあって、1つのほうは皆さんよく知っていると思いますがどうでしょうか。
手を挙げる人は意外に少ない。まぁ、皆さんわかってはいても挙手にまで至らないっていうのは 中学や高校のクラスと同じだと思います。わかっているけどなんとなく自信ない、或いは分かりすぎていてそんな幼稚な質問に答えるのは嫌だ的な心理でしょうか。
しかし、そのうち、1人の男の子が次のように答えてくれました。
そうですね、確か、生まれてきて臍(へそ)の緒が切れて母親から酸素をもらえなくなるので、自分で肺呼吸をしていかなければいけません、そのために思いっきり息を吸うためにオギャーと泣き始めるですね。
正解です、ポリティ。
ただ、ここで少し疑問があります。肺呼吸を始めるだけであれば最初に1回か2回大きく息をすればいいだけではないでしょうか。そこでもう空気は通りますからそんなに泣き続けなくても良いはずですよね。
実際ほかの哺乳動物の出産シーンを思い浮かべてみると、 身近なところで牛や馬の出産シーンで生まれてきた赤ちゃんがあんな大きな声で泣くことはないですね。人間に近い霊長類である猿やチンパンジーにおいても同じです、あんなに泣き続けることはありません。最初に少しだけ何かしら声を出しますけど、人間のように、病院中に響き渡るほどの声で 泣き続けることはありません。
私たちも自然界の一動物と考えた場合には、外敵に囲まれた中でか弱い赤ちゃんが泣き続けること、しかも出産で弱りきったお母さんの横で赤ちゃんが泣き叫ぶなどは極めて危険なことと言って良いでしょう。
どうして、人間はそんな危険極まりないことをするんでしょうね、みなさん。
しーん。
と静まりかえりました。みなさん真剣に考えている様子が伝わって来ますが挙手の動きは生まれません。
その時です、北海道でハンター免許に挑戦するぞと言っていたナンちゃんから、自信なさげにあのーが出ました。
あのー、人間は弱いので仲間に助けてもらう必要があるので、それで敢えて泣いてるんじゃないでしょうか。
その通り!ナンちゃん。
そうなんだよ。そのとおりだと思う。
ひ弱な赤ちゃんが私ここにいますよって大きな声で泣くって自然の中にあっては半ば自殺行為。にもかかわらずずっと泣き続けるのには理由があるよね。
これって社会生物学とか行動生物学っていうのか何か知らないけど集団内では自然に反した行動が出産という人間の誕生の瞬間から見られるって意味でとても興味深いなって思うの。人間は生まれた瞬間から集団的動物なんだね、一人では生きていけないことを赤ん坊の泣き声が証明してる。
そうやって考えてくると彼が妻の出産に立ち会ったりするっていうのは、男が出産に立ち会うって少し前だったら変な感じだったけど社会生物学的には自然なのかもね。
男が出産という現場で何もできないのはごくごく自然で、ただそれを見守るだけの存在なのでしょう。
そして、僕がパッて閃いたってーのはまさにここ、これって僕たちのはたらき方コーラルワークにもつながるじゃんって思ったのよ。
だってね、これは僕が言うだけでなく君たちもよく口にするけど、仕事してるとき声を出さなきゃダメだって君らよく言うよね。リアルに顔を合わせてやる仕事であれば自ら声を出さなくても誰かが見てくれていたりする。だけど、このはたらき方は声を出さなきゃいけないんだ。自分はここにいるよって、オギャーオギャーってね。
生まれたー!
本日2月27日午前2時近く、元気な男の子、母子ともに元気と電話がありました!
今日のアサカイは本人は生まれたばかりの病院から参加。みんなから祝福を受けつつも、出産には立ちあったけど何もできなかったと、いつもの普遍的立ち会い夫のセリフをもらしていました。
2023/2/27追記
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