最善観の困難さ

「最善観」

をテーマに投稿したのは数日前。

しかし、このテーマについて早くも考えさせられた昨日の夕暮れ時でした。僕はあまり車の運転は得意ではないというか、どちらかというととても嫌いなんだけど、昨日はある用事があり仕方なく運転し京都市内を走っていました。

目的地付近に到着し、用事は30秒もあれば済むので路肩に停車し、運転席のドアを開けて外に出ようとすると、

ファァァァァァァァァァァァァァァン

という凄まじいクラクションの音。

慌ててドアを閉めて、バックミラーで後ろを覗くと、黒塗りのごつい車が来ていて、いかにもやばそうな男がクラクションを鳴らし続けています。

やっばいなーと思いました。
素直に謝ろうと思ったのだけど、クラクション鳴らし続けて、いわゆる威嚇状態。僕が急にドアを開けたので、そりゃ怒ってらっしゃるんだと思います。

降りていって、いちゃもん付けられて、胸ぐら掴まれてなんてのを想像しながら降りるのをためらっていると、クラクション鳴らしながら、こっちを睨み付けながら横を通り過ぎて行かれました。

こちらは、ホッですが、クラクションの音で周りには結構人が集まってきていたので、何ともばつの悪い感じでした。

用を済ませ、車に乗り込み、”最善観”思い出してました。

「わが身の上に起こる事柄は、そのすべてが、この私にとって絶対必然であると共に、またこの私にとっては、最善なはず。」

な、はず。な、はずなんだけど、だけど、そうは思えないんだよなー、これ。

これ、どう解釈したら良いんだろう。

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