「お里が知れる。」この言葉、例によって、朝会(あさかい)で知っている人、手を挙げてって言ったら多分半数以上があがらないと思う。
お里=性格、学歴、素性、等々、出身に関わるもの全てを里という言葉で表現している。日本の地理的特長でもある盆地社会を表している。
知れる=分かる。
ということだけど、では何によって分かるのかというと、その人の言動によって分かると言うもの。使われている単語も古風だし、ロジックも今風ではないから分かりにくいけど、まー、ちょっと話せばプロファイリングされてしまうということ。
そして、このプロファイルするための要素として食べるという行為はあらゆる言動の中で最も目立って分かりやすい。今は皆が大体同じ感覚で食事をしているし、作法もうるさく言われないので、昔に比べると分かりにくいけど、食べるって行為は無防備なのでどうしても見えちゃうってところはある。良いところも悪いところも。
そういうところもあって、人は、特にビジネスマンは一緒に会食したがるのでしょう。
私も、新人の子とはお互いの距離を縮めるためにも食事を好んでします。
先日はその子と二人でイタリアンに行きました。
美味しそうに食べていましたが、彼は少しだけお皿にミートソースを残しました。出された分量や彼の勢いからして満腹だからとは思えません。
そこで、どうしてきれいに食べないの?と彼に尋ねました。
彼は社長からそんなことを言われて驚いたのでしょう、まさかそんなことを聞かれるとは思ってもいなかった様子でした。しかし、しばらく真剣に考えた後、むかしある方に皿をきれいになるまで食べると貧乏人のようだと言われたので、敢えてきれいに食べるのは止めているのだという答えが返ってきました。
咄嗟の言い訳かなとも思いました。
いつの時代の話しだろうと思ったからです。確かに私の子どもの頃は満足に食べることのできない家庭はざらにありました。そういった家庭の子の食卓と、そうでない子の家庭の食卓の風景は見事に違っていました。しかし、今は飽食の時代と言われて久しいわけです。
言いわけでないとしたら、20代初めの彼の年齢と発言は観念的なものに思えます。
そこで、彼にこんな話しをしました。
君は、「マグロの解体ショー」とか知ってますか、地方の港や、大型スーパーとかで、大きなマグロを客の前で捌き、切り分けて、その場で販売するという一種の実演販売です。
彼は、それなら知っているというので、どう思いますかと尋ねたら、質問の意図が分からないらしく、答えに窮していましたので、では、君があのマグロだとしたら、死んだ後にあーやって客の前でショー的に切り分けられるのはどうだいと尋ねると、嫌な感じですと答えました。
では、そのマグロが、君はまだ結婚もしていないけれど、自分の子どもだとしたらどうだいと尋ねると、言葉は定かではありませんが、彼はむちゃくちゃ嫌で客を殺したくなると言ったように思います。
そうだよね。今、君の目の前に残っているミートソースはそのマグロではないか。ご飯を食べる前に日本人は、いただきますと言うけれど、それは命を頂きますと言っているのじゃないかな、命の前に、貧乏に見えるもなにも関係ないのではないか。ありがたく黙って全て頂くことが、命に対する感謝の気持ちではないのかと話すと、彼はきれいに食べてくれました。
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