論語の言葉仁義で一心とあるけどこの中にない言葉でこれらの言葉よりも重要な言葉は勇気の言うではないかと思います。つまり勇気の優雅なければ仁義で自信いずれも実行することは不可能だからです。論語ができた頃はそれほど社会と言うものを考えているわけではなく、人間の心地の得みたいなものを考えて仁義で自信ができたんじゃないかと思います。しかし今は非常に高度化された社会です。ちょっとやそっとではこの社会は崩れそうにないんです。と幕府260年続きましたけどあれに匹敵する位今の資本主義社会であり民主主義社会と言うのは、核戦争でも起きない限り続きそうです。つまり確立した社会になっていて、当時とは比べようもなく管理社会になっていてテクノロジー社会になっているんですね。つまり一人ひとりの人間の発露する場面が人間として発露する場面が非常に狭くなっているです。しかし人間は生まれながらにして仁義RTCの心を持っているわけでそれを発動させるための勇気がなければ何も起きない社会になってるんではと思います。ちょっとちょっとの笑革命ならばできるけど大革命はできない。自らが作り出した安全な社会に自らが絡めとられて身動き抱きなくなっているのが今だと思います。これを打ち上がっていくのが勇気なんだけどじゃあ今何のために勇気を振るう必要がある?
貧困のため差別のため?
もうそんな時代じゃないですよね。何のために勇気が必要?仁義RTCを取り戻すためただそれだけのために勇気が必要な時代になってるような気がします。自分つまり自分を取り戻すため
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強化学習はもう囲碁とか人間を超えちゃってるんだけど強子悪い逆襲教師あり逆襲学習
教師あり学習は人間ないだから原理的に知能AGIは生まれないんじゃないかっていうのがあるんだけど人間自体がこの人間社会を答えのある世界強化学習的な社会強化学習的なとこで解決できるような社会に変えていってしまうんじゃないか答えのないことが楽しいはずなのに答えがある世界がやはり安心なのでそういう社会に変えていく感じがするんだよね。そうすると蝶々
そうすると理的にはAGIはできないはずなんだけどこの社会がデジタル的で便利でものになってしまったら人間知能を超えた強化学習によって人間よりも数万倍早く走れる機械遠くまで飛べる機械の世界になっていって人間は太刀打ちできずそこに管理されるようになるんじゃないか自ら管理を求めるようになっていくはないか
