いけず石は本当にいけずなのか。

あんたほんまにいけずやわー。

ここ京都では、意地悪のことをイケズと言います。意地悪な人=イケズな人、です。ほぼイコールだと思います。用例としても似ています。「もう、ほんまにあの人、イケズな人やわ!」:意地悪をされて怒っている心理状態です。
「ちょっと、これ見てみ、ほら可愛いやろ」「何、それ、あ、それ私のやんかー、ほんま 慎二君っていけずなんやからー」:意地悪されたことを半ば喜んでいる心理状態です。
と、まぁ、イケズ=意地悪なのですが、京都の街中にはイケズを冠した石がやたら転がっています。それを名づけてです。大抵、角の境界を指し示すように置かれています。 そのため歩いていて躓いたり、車の車輪が乗り上げたりします。通行人から見ると確かに意地悪な石にしか過ぎませんから、命名者は通行人なんでしょうか。ですから、家を建てる時に、ほな、ここにいけず石置いとこかとは言わないのかも知れません。或いは諧謔的に言っているかも知れませんが、何れにしてもこのいけず石、京都人の精神性の一端を表しているように思えます。こっから先は入らんといてな、愛想良いのはここまでやしなという、他人と身内、他者と自分を無意識に線引きしてしまう京都人の懐の深さ?を表しているようです。

京都はよく知られているように、自体が風水によって建設されています。ですから、もしかするとこのいけず石もそれを意識してのことかも知れませんが、石が置かれている方位としてはバラバラなのでそれはないような気がします。

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