お疲れさまは、未来に向かっていないんじゃ。

お疲れ様は、実感として語れない言葉ではないかと日常的には。

例えば、おはようございます、こんにちは、いらっしゃいませ、おめでとうございます。
これらは割と日常的に感情を込めて話すことができる挨拶ことばだけど、お疲れ様に感情込める時ってどういう場面でしょうか。

まずもって公的な場での挨拶では使えない言葉だと思う。

入学式や卒業式、あるいは結婚式とかの挨拶で「お疲れ様」って言いませんよね、言えませんよね。

先生:「新入生のみなさん、お早うございます」
生徒:「お早うございます」

先生:「新入生のみなさん、お疲れさまです」
生徒:「……。」

この言葉はやはり本来的に相応しいのは本当に疲れたときではないでしょうか。
その時には本当のねぎらいのことばになる。

サッカーの試合ででも90分フルに戦って、それでも決着つかず延長戦に突入し最後の最後にシュートを決めて勝ったとき。
ベンチに戻ってきたとき。
選手たちは口々にお疲れさん、お疲れさんではないだろうか。もちろん他の言葉もでてくるだろうけど。
このときの「お疲れさん」は軽くない。
むしろ、その一言で全部を引き受けている感じがある。

でも普段の私たちはどうだろう。

お疲れ様です。
お疲れ様でした。

いくらでも言える。
でもその中にどれだけ実感が入っているかと聞かれると、少し怪しくなる。

むしろこの言葉は、感情を込めるための言葉というより、感情を省略するための言葉なのかもしれない。

本当はもっと具体的に言えるはずなのに。
大変でしたねとか、助かりましたとか、よくやりきりましたねとか。

そういう言葉を全部まとめて、「お疲れさま」にしてしまう。

便利だし、誰も傷つかないし、場も壊れない。
だから仕事の場では、これ以上ないくらいちょうどいい。

そう考えると、この言葉は未来に向かって開く言葉ではなくて、過去を閉じる言葉なのかもしれない。

何かが終わったあとにしか、成立しない。

自分も一生を終えて棺桶に納められたとき、誰かが「お疲れさまシュワッチさん」とかって棺に向かって言ってくれるのが楽しみで仕事しているようなところあります。
もう言葉は出ないだろうけど、きっとありがとうって返してると思う。

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