あんたどいて!

世界的なビジネス書シリーズのVol1。その表紙カバーには黄金色に輝く時計が4つ描かれている。本書を読まれた方はその意味するところはよくお分かりだろう。
ここに描かれている企業は時代、時間を超えているのだ。なぜなら自分たち自身が時を刻んできたから。
しかし、本文とそれとはほぼ関係がない、示唆するところもない。
深読みすれば敢えて言えば、時間に追われちゃダメよという教訓的なところだろうか。しかし、こちらは次元が低すぎるのだ。
そう、自ら時を刻んでいけば時間に追われることもないのだから。

あんたどいて!

交通が発達したおかげで、私たちはかなり正確に、遠くの地域にたどり着くことができるようになりました。

しかし、一方で、正確にたどり着くことが前提となってしまった社会では、時間に正確であることが当然のことのようになってしまい、あらゆる社会システムが時間厳守を前提に動くようになってきました。これは社会が産業革命を経て近代化すると同時に起こってきたものなのでしょう。

その結果、農村から都市へ人は移動し、大家族から核家族へと人はそのライフスタイルを変えてきました。その過程で私たちは多くの利便性を手に入れましたが、同時に失ったものも多かったように思います。

いわゆる時間という見えないものに追われる生活を余儀なくされてしまいました。家族や夫婦という最小単位の共同体にまでその魔の手が忍び寄ってきているのを最近経験しました。

妻と一緒に朝出かけました。私は会社へ、妻もまた仕事に。同時に家を出たのですが、少しだけ早く私の方が駅に着き、改札を早めに通り過ぎ、目的の始発電車に乗り込みました。電車はおよそ2分後に出発です。予定ではほどなく妻は現れるはずなのですがなかなか現れません。しかし、妻はこの電車に乗らなければ目的の時間に間に合わないために私は内心気が気ではありませんでした。やっと彼女の姿が見えましたが、階段を恐ろしい形相で走って降りてきました。しかし、一方で電車は予定の時刻となり、ホームには始発のベルが鳴り響き渡りました。

車内の私は、ドアの所に立ち、両手を広げ扉が閉じないように踏ん張りながら、車掌とアイコンタクトを取り、妻がもうすぐ着くのでと心の声を車掌に送り続けました。

その次の瞬間、妻は目の前に辿り着きましたが、彼女も相当焦っていたのでしょう、人間焦ると何を言い出すか分かりません。時に耳を疑うような言葉を発することがあります。

「あんた、何してんの、邪魔や、どいて! そんなとこ立ってたら入られへんやんか。」

立場を失うとはこのことです。理由を説明したい気持ちはあっても混雑した車内では難しく、悶々とした気持ちで、電車を降りたときには、話すべき相手は走り去っていました。

私は、何を言いたいのか。そうです、時間の大切さです。

かの経営学のバイブルとも言うべき「ビジョナリカンパニー」を著したジムコリンズもその著書の中で述べています。”時計を持つな。時計を作る側の人間になれ”と。
彼も、辛い経験をしたんだろうなとその時思い出しました。時間に追われたらダメだ、時計を作る側にならなければならないとその時思ったのでは。

投稿者注)このお話は2年ほど前のできごとなのですが、最近ブログの投稿ペースが落ちてるんじゃないですかという忠告を受け、下書きにあったものを起こしてみました。

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