私のことを知ってる人はほんま聴きたないやろなーって思います。
でも、自分ではお気に入りだったりします。許してね。
ボイスクローンってやつ。
最初ね、それをやったときにはやはり自分でも気持ち悪かったのです。
録音された自分の声ってなんかイヤですよね。
よほどのナルシストかプロの歌い手さんでない限り自分の声をそのまま聞かされると妙に嫌な感じになると思います。
聞き慣れてないし、この声で勝負していくぞって覚悟がないからやと思います。
ところが、それをAIで作った曲に乗っけるといけるんです。
歌詞は自分で思いつくままに作ってるのでここには自分が主体的にあります。つまり作詞作業はそのレベルに関わらず楽しいのです。でも、作曲はできないのでその出来上がった歌詞とともにAIに投げました。
プロンプトは「昭和感たっぷりの歌謡曲作って!」
それだけ。
で、出来上がったの聞いてみると、ええやん、えぇやんと独りごちた。
多分、私の声を知っている人は私が歌っていると思うと思います。後半は少し破綻してますが途中まではがんばってる。
言うまでもなく、私は歌は決して上手でも美声でもないことは自分でも認めます。
でも、これは上手だし声質は変わらないのに美声になってます。音程も当たり前だけど全く狂ってないので安心して聞いていられます。
重ねて言いますが、私の声、私を知っている人は耳をそむけたくなると思います。ヘッドホンやイヤホンで聞いてたらすぐにそれを投げることでしょう。
だけど、自分では妙に気に入ってるんですよ。
なぜなんだろう。
やっぱ、憧れが実現したからじゃないでしょうか。
五線譜なんて読めない、マイク持ってもがなるだけ、楽器も全くだめ。そんな人間がミュージックビデオ風に歌えてしまうのです。
おそらく、今後は音楽の聴き方変わるんじゃないでしょうか、そんな予感。
さて、本題。
チャッピーに触れ始めて3年ぐらいでしょうか。
最初は文章で驚かされ、次に画像、イラスト、そして音楽って順番なんですがクローンとなると、いよいよAIは「人格に近い領域」に踏み込んできてる感じがします。
声って単なる音じゃなくて、その人の存在感とか、感情とか、関係性まで乗ってるから。
産業革命は身体の拡張でした、生身の腕や足の能力を飛躍的に拡張させました。
では、これは喉の拡張?
いやー、どう見ても人格が拡張しているというか身体の外にいきなり現れたみたいです。いったんクローン化したものにはなんでも歌わせることができるので便利な道具を手に入れたみたいですけど、自身の人格をどこかしら帯びているので外部性があるようで無いのです。
一見すると人類は、特に私のような音痴系の人類は新しい表現方法を手に入れた悦びに浸れるようなわけですが、一方で人格が希薄化し薄められていく感じもします。
嫌な予感です。
思い出した。
ここまで書いてきて、急に、ほんとに急にもう10年以上前かなに亡くなったRCサクセションのリードボーカルだった「忌野清志郎」のことが思い出されました。彼は声を失うことを恐れたというか嫌だったんだよねほんとに嫌だったんだろうなそれが彼の死を早めた。
声を失う事は自分を失うことに等しいことじゃなかったのかな彼にとっては。声とはそんなもんですよね。
考え出した。
ボイスクローンやってたら会社のことはたらき方のことも考えることになります。
声はその人の人格に属していますが、会社も様々な人格が集まってまるで一つの有機体のように機能している側面もあると思うからです。それを私たちのようなテレワークは一旦バラバラにしてしまっている感じがします。
なのでそれを恐れた企業はコロナが終わったらさっさと元に戻ったのでしょう。
他にも社会制度自体が一箇所に集まって仕事をすることを前提として作られていることも大きいだろうなって思います。
が、そういったアイデンティティへの潜在的な危機意識が理屈抜きに出社を強要しているように思います。。
では私たちはバラバラになった人格をどうやって元のあるべき状態より豊かなものに持っていくことができるのでしょうか。
テレワークは「場所が自由になった」じゃなかったはずなんですがここ勘違いしている人多いです。
「身体がそこにあること」が仕事の前提じゃなくなったんですね。
もともと会社って、同じ場所に身体を集めることで成立してた。
空間を共有することで、同じ時間を生きている感覚とか、空気とか、関係性が自然に生まれていた。
でもテレワークは、それを一回バラし前提を崩した。
「仕事=身体」じゃなくて、「仕事=情報のやり取り」にシフトしていきました。
僕らはそれに乗ったし今も乗っている。
同じ声で話すことも関係性
同じ空間にいることも関係性
でもそれが切り離されたときに、
意識的に関係性を作らないと、ただのデータのやり取りになる。
だからボイスクローンもテレワークも本質的には同じ問いを投げてる気がするんです。
こうやって繋げちゃうのは私の思考の癖なんだけど、それはちょこっと横におきます。
分解の先にあるもの
分解 → 最適化 → 再構築
この流れの中で、最後に残るのは「選び方の癖」なんだと思います。
効率だけで動く会社は、AIに近づく。
でも「なぜそれを選ぶのか」を持ってる会社は、人間っぽさを残す。
完全に最適化された世界は快適です。
でも、どこか味気ない。
むしろ、
無駄なことをする
遠回りする
説明できない判断をする
そういうものが価値を持ち始める。
声はどこまで自分なのか
春の御所で、桜がひらりと舞っていたあの時間。
あれは効率では説明できない。
でも確かに残っている。
テクノロジーはこれからも社会や私たちに分解を進めてくるると思います。
でも、その中で何をつなぎ直すのか。
どこをあえてつなぎ直さないのか。
それは人間にしか決められない。
声を手放すのか。
声を守るのか。
それとも、そのあいだに立つのか。
その選択の積み重ねが、これからの働き方や会社のかたちをつくっていくのではと。
ひらり ひらり 春の御所
美しい桜 優しく揺れている
見つめ続けていた いくつもの春を
とおい とおい 春の御所
若い命 駆け抜けていった
信じ続けていた 誰かが何かを
長い時を越えてきたこの場所で
今日もまた 小さな決断 静かに
重なっていく
どんな仕事をするか もちろんダイジ
でもな、誰と歩くかが もっとダイジなんだ
早く着きたいなら 一人でゆけ
でもな、遠くまでゆくなら みんなでさ
リョーちゃん笑い
空気ほぐれて 新しい仲間の予感
やってきた
きらり きらり 春のゴショ
今の景色に 光満ちていく
これからも続く 始まりの物語
きらり きらり 春の御所
きらり きらり 春の御所
きらり きらり 春の御所
