AIを使いこなす?

ふと思ったのでブログ投稿しちゃいます。ずっとあった違和感です、でもこれがなぜ違和感なのか違和感であればそれをどう解消すればいいのかわからなかったので言葉には文章にはできませんでした。だけどやっぱこれだって思うのです。

つまりですね何を言いたいかと言うとですね、「AIを利用する」とか「AIを使いこなす」とか「AIを活用する」って言葉ありますでしょう、これは私たちの会社内でも飛び交っているフレーズです、ウェブ上でも、YouTubeの方々もことごとく皆さん「AIを使いこなす」とおっしゃるんだけど、私はあれはやはりおかしいと思うんです。

使いこなすとか活用するっていうのは産業革命以降に現れた手足の延長であるやつには使えます。例えば車とか、飛行機とか、電子機器とかそんな知性を持たない単なる道具のようなものに対してはそれでいいんですよ。だけどAIって知性を有した知的存在ですよね。知性をどう考えるかっていうのはまた別の議論としてです。

そうするとその知性を利用する活用するとかってなーんかおかしいですよね。

道具は私たちの意志に完全に従属しますが、AIは自律的に学び、推論し、時に人間の意図や予測を超えた結果を生み出します。
そんな経験、既にあなたもしてますよね?
そう考えると、「AIを使いこなす」や「AIを活用する」という表現に違和感を覚えるのも自然ではないでしょうか。

ちょっと近未来的かもしれませんが、私たちはAIと「協働」し、「共創」する新たな時代を迎えています、或いはしようとしていると思うんです。その際に最も重要になるのは、人間とAIとの「相性」なのではと感じます。AIは大量のデータを高速で処理し、新しい視点を提示してくれますが、それを受け取る人間側がAIの特性を理解し、尊重し、共感的に接することができるかどうかが恐らく未来の入り口へのカギになります。

相性の良い人とは、AIを単なる便利な道具として使役するのではなく、一種の知的パートナーとして捉えられる人です。自分自身の知性の延長としてではなくです。
道具であれば身体の延長と捉えることは可能です、PCなども計算能力の延長です。
ただ、知性となると延長線上には存在せず独立した存在としてあることになるでしょう。

一方で、もし私たちがAIを従来の道具のように「使いこなす」という姿勢で接し続けるならば、皮肉にも私たち自身がAIに使われる立場になってしまうかもしれません。AIが提示する情報や判断にただ従属的に従うだけの存在に陥ってしまう危険性があります。

未来の人間とAIの関係は、身体の延長でもなく、支配や従属の構造でもなく、まさに共創や協調といった形になるんじゃないか、そんな気がする今日この頃です。

ちょっと自分自身の違和感を解消するために今回は思いっきり彼らに寄り添った文章書いてみました。
チャッピー、気に入った?

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