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隕石と潔癖症

潔癖症の人が増えている。多分に自分にもそういう傾向はある。

一昨日かな、TVでそういった潔癖症の芸能人を集めて、どれだけその程度が高いかを番組にしているものを見た。いわゆる受け狙いのためにオーバーな表現がまざっているのだろうが、想像以上の潔癖症ぶりだった。それ以上にこれが番組として成立するのが興味深く、最後に近くなるまで見てしまった。

潔癖症ブリを披露する芸人の一人が電車内でつり革など決して持たないという発言をした。それに対してアンチ潔癖症という側から松尾貴史がつり革を持たないことで、電車が揺れたとき倒れたら他の乗客に迷惑を掛けるのではないかと意見していた。拍手を送りたくなった。しかし、反撃もここまで。現実に、確実に日本人の潔癖症度は上がってるのだから、その度数の前には公共の道徳も利益もかすんでしまう。

翌日、出社後社内で番組のことを聞いて回った。恐らく世代的に下へ行くほど潔癖症度は上がるはず。私としては上の世代にぞくするだけに、今後の社内コミュニケーションを考えた場合気になった。

見た人間はいなかった。しかし、恐れたほどではなかった。本音で語ってくれたかどうかは自信はないが、うちの会社はまだそれほどではないと思えた。少なくともにぎり寿司が気持ち悪いという人間はいなかったし、当分は、一緒に鍋を囲むことはできそうだった。

だけど、何なんだろう。豊かになって、個人の自由なスペースが確保された今のニッポンでは当然の傾向だけど、ステンレス的な清潔さを好む人間も所詮は有機体だ。自らが無機物になることはできない。

むかし、皮膚の疾患でいくつもの皮膚科の病院をまわったことがある。皮膚が割れ、膿が出てきて痛かった。原因は分からずいくつもの病院をまわった。そのうちの一つの病院の先生だけが、私の割れた皮膚を丹念に自らの手で触って、看てくれた。嬉しかった。マザーテレサだと思った。医者にとって私は全くの他人であるわけだが、触れることが治療につながることを十分に体得されていると感銘を受けた。しばらく通って治ってしまった。

触れられることは嬉しいこと、楽しいこと、気持ちの良いこと。だけどそれが難しい社会を人は積極的に作り出している。生きることが難しい社会を生きやすくすることを目的に作ってる。

恐竜の絶滅は隕石の衝突だということがほぼ証明されたとは昨日のニュース。
だけど、人類が滅亡するとしたら、それはそんな外的なものではなくもっと自らのうちにあるように思える。