2022年1月、Blogタイトルを”三智に学ぶ”から”コーラルワークにしました。” ボタン

電車遅れまして誠に申し訳ございません

イトスギ(Cypress):花言葉は、死、哀悼であり、絶望、永遠の悲しみである。
そんな悲しい花言葉のいわれは、ギリシャ神話のキュパリッソスから来ている。或る日、キュパリッソスは自分が大切にした牡鹿を誤って自分の投槍で殺してしまい、悲痛にくれた末に、神々に悲しみの象徴であるイトスギに姿を変えてほしいと願ったことからとされる。
それ以外にもイエスキリストが磔にされた十字架が作られた木であるとか、ゴッホの描く絵の題材にもよく取り上げられ、有名な「糸杉と星の見える道」などがあったりと、死を連想させる花である。しかし、一方でイトスギは生命や豊穣のシンボルでもあり、の国旗にはレバノン杉としてこの木が描かれている。

身近な話題として、会社を紹介する手段として僕はよく当社の)の様子を伝えますが、今日もまたそのそきの話しです。今週半ばぐらいでの朝会のことです。

朝会の一つのルールとして全社員が参加というのがあります。朝の9時、つまり始業と同時に朝会なので、たとえばの人がいたりしたら、朝会の開始を遅らせます。よくある朝礼とかだと、開始時間は決まっていて遅刻者に合わせて時間をずらすと言うことはあまりないかと思いますが、当社では開始時間をずらします。出張などで外にいる人はSkypeなどで参加します。

朝会は休暇の人を除いて全員参加が大原則です。

さて、その日は電車の遅延が発生し、ダイヤに乱れが生じ出社が遅れるという連絡が(あさかい)に入り、ALが開始を遅らせることを決定しました。遅延発生の理由は”人身事故によるもの”ということでした。

約15分ほど遅れてきた彼に、ALの掛けた言葉が、「**さん、でした。」ということばでした。ダイヤが乱れもみくちゃにされたであろう彼を気遣ってのものでした。都内の通勤ラッシュをご存じの方なら、こうしてダイヤが乱れたときの車内状況は容易に想像できると思います。結構ひしめき合った状態で、乗っているだけで身も心も疲れホームに投げ出された時に初めてホットするぐらいです。

そして、その”お疲れ様でした。”といういたわりの言葉を聞いて、僕はどうしても一言発言させてもらいたい衝動に駆られました。朝会では僕は極力発言は控えています。僕がしゃべると朝礼になってしまうからです。

だけど、今朝はどうしても発言したかった。

”ALの**くん、確かに彼はもみくちゃになってやってきた。それをいたわる君のことばも分かる。しかし、お疲れ様はないのではないか。電車が遅れた理由は人身事故なんだよね。その言葉は多くの場合、人一人の命がそこで亡くなっていることを意味しませんか。君がそれを知らないわけはないでしょ。どんな理由かは分かりません、そのことでダイヤが乱れ迷惑だと思う人もいることでしょう。でも君はそういう人なのか?命の重さが分かり、哀悼の意を理解する人間ではないのか。その人間がお疲れ様という言葉をこの状況で発するのは、僕には信じがたいのだよ。”と。

直後、彼もハッと気づいてくれました。なんかおかしいと思いながら不用意な発言をしてしまったと言ってくれました。

考えすぎかも知れません、言い過ぎかも知れません。しかし、彼のお疲れさまという言葉は、5年前のちょうど今の季節に書いたブログ、人身事故の直後に車掌の発する、”電車遅れまして誠に申し訳ございません”と同じ響きに聞こえたのでした。

糸杉と星の見える道

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Comment

コメント一覧 (2件)

  • 私はこちらのブログを11/18の移動中のバスで拝見いたしました。
    都内の人がたくさん乗っているバスです。
    こんなにも温かいブログを読むとも思わず、何気なく開きました。
    涙が止まりませんでした。
    涙をこらえよう、こらえようと顎が痛くなりました。

    5年前の若者はきっと、人のせいにもせず、一人で抱え込んで抱え込んで苦しんでいたのではないかと想像すると胸が痛くなりました。

  • 私も最近少し似たような経験をしたことがあるのでコメントさせてください。

    いつもよく行くスーパーでのことです。レジに長い列ができていて、会社帰りで疲れてたし、私も少しイライラしてたんです。しかし、運悪く私の前の方が結構お歳を召した方で、わずか数点の買い物なのにお金を出すのがゆっくりゆっくりで、とても時間がかかっていたんです。店員の方を見ると彼女も顔は笑ってるけど私同様にちょっといらついてます。そして、その方の会計が終わったとたんでした。私に向かってレジの人が、大変お待たせしてすみません!いらっしゃいませ。とおっしゃいました。
    その瞬間、私はその会計を済ませたばかりのお年寄りの方をチラッと見たのですが、何というかいくぶん肩を落とされているように見えました。
    自分が嫌になりました。いらついてた自分が情けなくなりました。ほんの少しいつもより待たされていただけなのに不運を嘆きその老人をまるで邪魔者扱いしている自分がそこにいました。

    こちらのブログを拝見して、何気ないことばの残酷さに思いがいきました。

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