2022年1月、Blogタイトルを”三智に学ぶ”から”コーラルワークにしました。” ボタン

そんなことは、チェーン店でやってくれ!

もちもち感たっぷりの生パスタ。細めの麺に上品なソースの組み合わせ

世の中には直情径行型の人間がいる。
自分もどちらかというとそれに近い、というか敢えてそうしているというのもある。
どうしても許せないというか、馬鹿げた対応を見てしまったときには、ムラムラきてしまうし、それを我慢することは、相手に対しても失礼だと考えてしまう。

感情ありのまま、動物的ではだめなんだけど、抑制的な理性的な振る舞いには打算がつきまとう感じがする。

自己分析をすると、そういった打算的な自分を否定するために敢えて感情を表に出すようにしているような気がする。
それをかっこよく言うと、自分の感情に従い素直に反応することは、人それぞれが生まれながらに持っているいわゆる良知を呼び覚ますということにつながるのかなと。
であり的かな。

人はそれぞれ好みがあって、朱子学的なものを好む人と的なことを好む人がいることをこういったところからも感じたりします。
しかし、最近は自分もどうも打算的だ大人しくなってしまっていると反省の日々。

 ”そんなことはチェーン店でやってくれ!”というのは、会社の近くのしゃれたお店のマスターの一言だった。

生パスタが美味しく、落ち着く店内なので僕はひいきにしていた。
ちょっとしたこだわりの店だった。昼時はいつも満席だが、その日は幸運にも4人掛けのテーブルが空いていて、そこに3人で座った。

食事が終わり、を飲みながら、ちょうどパソコンを開かねばならない場面になったので、食べ終えた皿を僕が手にしてマスターのところまで持っていった。
マスターの忙しい手を煩わせないための配慮のつもりだった。

お礼の一つも言ってもらえると期待したのだが、片付けられたテーブル席で僕たちがノートPCを開いているのを見たマスターの顔は感謝のそれではなく、明らかに怒りだった。

”どういうつもりなんですか、うちは、学生がコーヒー飲みながらパソコン開くような店じゃない。そんなのは他所へ行ってやってくれ、そんなことはチェーンのお店でやってくれ!”と。

僕たちは、最初そのあまりの激怒ぶりの意味が分からなかった。
お店に対してそんな気に障ること、声を荒げられるようなことはしていないつもりだから、理解するのに数十秒は要した。そして、分からないままにいったん開いたPCは閉じるだけは閉じた。

反芻を重ねた後、そのマスターのチェーンの店に行ってくれと言うことばを聞いて、やっと気持ちが理解できた。

彼は、戦っているんだと思う、それらチェーンのお店と。
個人のお店で生パスタを提供し、大手チェーンと戦っているのだと思う。だから、そんな店で長居につながるようなPCを開くという行為は明らかに彼にとっては、全然こういった自分の努力を理解してないバカで身勝手な客と映ったのだろう。

常にそういった意識でいる彼は、もうその様子を見た瞬間に自分を抑えられなかったのだ。

お店の立地、価格、そして提供される食事内容からすると、結構良心的なのだが、恐らくマスターもそれを自負している。それなだけに怒りを抑えることはできなかった。

なんか、他に言いようがあるだろうというのが社会人のありようだと思う。

”済みません、お店が混んでいるので、こちらでPC広げるのはお控えいただけませんでしょうか”
 と、ちょっと腰をかがめ気味に話してくれたら、こちらも大人なのだから十分に理解するし、それで誰も卑屈になるって話しでもない。

それが、理由も何も言わずに、いきなり他所へ行ってくれなので、言われた方もなぜなのか分からずキョトンとしてしまう。それだけなら良いけど、大抵の方は、もう二度と来るものかと思うだろう。

ただ、僕は基本好きです、こういう方。
策を弄しないというか弄せない人。商売決してうまくいかない。1人で頑張ってるけど誰にも理解されないし誰もついてこない。

社会は面倒くさい決まり事だらけだし、それを構成する社会人の心は堅い鎧で閉ざされているから、慎重に社会的手続きを踏んでいかないと自分の気持ちを成就させることはできない。それが大人の社会。

後日、またもやの混雑時に今度は1人で訪問してみた。

隣の席では、近所の会社から流れてきたのだろう若いOLさんがスマホいじりながら、とっくに食事は終わっているのに、ぺちゃぺちゃ長話。ドアの外には列ができてる。
しかし、マスターは終始ニコニコ。

あれ?

そうね、これが社会、大人なのね。

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Comment

コメント一覧 (2件)

  • このご時世にはとても難しい問題ですね。
    筆者さんのように考える事ができれば色々と感じたりもできたりするのですが、若者にとっては厳しいかもしれません。このような趣を持ったお店が無くなるのはとても悲しいです。その為、マスターには変えてはいけない事と帰る余地を持つことを今一度見直したりしてもらえたら幸いですね。

  • こんにちは、匿名さん。
    コメントありがとうございます。
    仰る通り、匿名さんはご自分で仰っているように若者さんでいらっしゃるんですね。
    はい、こちらのお店、気骨はあっても継続は難しいだろうなと思います。
    経営的に厳しそうです。

    ただ、僕の投稿文も良くなかったのですが、ここで言いたかったことは
    もう一つあり、むしろそちらの方がメインです。

    今は、このオーナーの方の気骨や商道徳にスポットが当たっていますが、
    それよりも、お店の客としての行動、マナーについて思いがありました。

    客にもマナーは当然求められるべきだという考えです。
    そして、それはお店によって違ってくるのでしょう。

    こんなエピソードが別のお店であったんです。
    他のブログか何かに書いてるかもしれません。
    当社の本社がある京都の太秦でのことだったように記憶してます。
    そこの居酒屋のご主人と話していたんですけど、太秦って映画村が
    あったりして、京都は日本の映画発祥の地だったりして、映画関係者が
    よく集う町なんです、太秦は。

    その居酒屋によく通っていらっしゃった名脇役と言われた役者さんの
    ことをご主人が語ってくれました
    その方、いつもフラットきては物静かに酒をのみ、すっと帰って行かれる
    のだそうですが、お見事というぐらい帰られた後の食卓がきれいなんだそうです。

    残さず食べるというのはもちろんなんですが、帰るときにいつも自分が使った
    ナプキンとか折りたたんでポケットに入れて持ちかえられるんだそうです。
    箸を揃えたりしてキレイにして帰る客は見たことありますけど、毎回自分の使った
    紙ナプキンを持って帰るって人は見たことないです。

    つまり、自分が使用したある意味美しない風景は全部自分と一緒に持ち帰る。
    そして、去るときにはきれいな状態にして、騒がず帰る。

    マナーの極致ではないか。

    少し前に亡くなった役者さんです。僕も好きでした。
    演技もなんか力が入ってなくて、それでいてこっちには痛いほど伝わって
    くるそんな演技の役者さんでした。
    亡くなり方、去り際も見事でした。

    そして、これがマナーじゃないかって思うわけです。
    他人を思いやる、自分のことは自分で始末する。
    基本のこと。
    あのようなお店でPC開くなんて、僕はそういうのが全然できていなかったわけです。
    そこに気付かされたあの日でした。

    株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

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