師走の悲痛。

師走の悲痛

ある日の朝。

いつもの通勤。
乗換駅に着くと、ホームに人がごった返していました。

アナウンスがありました。

隣の隣の駅あたりで人身事故が発生し、電車が遅れているとのこと、
再開はいつになるかまだ分からないとのこと。

アナウンスが流れても、ホームに入る人は流入し続け、
あわやホームから誰か転落するのではと思えるほどでした。

再開の目処が立たないとのことだったので、
人混みをかき分け、改札を出て、会社まで歩くことにしました。

歩きながら、スマホで運行状況をチェックしていると、
どうやら再運転されたようなので、最寄りの駅から乗車し、
いつもの会社の近くの駅で降りました。

途中、電車は満員状態。
駅で吐き出された乗客に対して、アナウンスがありました。

「本日は、電車が遅れましたことを深くお詫びいたします。」と、駅に設置された
スピーカーからの案内。

ホームでは、黄色い上着を着たアルバイトらしい若者が、

「ご迷惑をお掛けしまして申し訳ございません、申し訳ございません。」
「電車が遅れましたこと、誠に申し訳ございません。」

と頭を下げながら乗客に対してお詫びの言葉を連呼しています。

とても、奇妙であると同時に薄ら寒さを覚えるお詫びでした。
彼らは何を謝っているのだろう。

人身事故と言った場合、それはほとんどが投身自殺でしょう。
駅のホームから線路に飛び降りるという自殺です。

彼らは、何を詫びているのでしょうか。

特急電車に向かって、線路に飛び降りる人間を鉄道会社が防げるのでしょうか。
不可抗力です。
防ぎようがありません。
電車が遅れたことは不可抗力ですから、乗客の誰もそれに対して怒ってはいないと
思います。

しかし、彼らはひたすら謝り続けます。

謝るべきは自殺をした当人であるはずです。
しかし、その命はどこにももうありません。

後日、新聞に、自殺したのは学生服を着ていたようだという記事がありました。

また、若者の自殺です。
この国の若者はどうしてこう死に急ぐのか。
見ていると、学生から社会人になろうとするとき、或いは社会人になったばかりの頃に起きているようです。
そう考えてくると、彼らを受け止めるべき、受け止めた会社にも幾ばくか、
いや、かなりの問題があるように思えます。

それにしても悲しいのは、鉄道会社のアナウンスです。
誰が誰に何のために詫びているのでしょうか。
ご迷惑をお掛けしたことを、亡き人に代わって詫びているのでしょうか。
詫びる必要があるのでしょうか。
弔う必要はあっても謝る必要がどこにあるのでしょうか。

若者は、死は思いとどまるべきでしたが、
あなたを死に追いやった社会こそが乗客に対して詫びなければならないのではないでしょうか。
そして、私たち乗客一人ひとりがその社会の構成員なのです。

若くして命を絶ったあなたに、私は社会人として心より詫び、ご冥福をお祈りいたします。

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