わが愛する三角食い

アタシは自然と三角食いになっている。
気付いたら、目の前の箸の動きを点と線で表したら、きれいな三角形になっている。
目の前の皿が一つでも、二つでも、いや十皿でもだ。
料理は、均等に箸をつけていくことにより、均等に減っていく。
その結果、10皿であれば10皿が常時テーブルには存在する。
それ故一皿が先に片付けられると言うことは承知できない状態が食事のエンディングまで続くことになる。

これが外食だとお店の方は大変だ。彼らの使命はお客のテーブルを常に必要最小限のお皿の状態にしておき、
次のお客のために直ぐに片付けなきゃなんないからね。

だけど、アタシの厳格なまでの三角形の定理はテーブルマナーとしてアタシの中に強く存在していた。

これは徹底してキョウイクされた。ガッコウキュウショクという場で。
今思えば大した意味も無かったように思う。ただ、三角というのはあたかもそれが何らかの業務を遂行させるための
必須の動きでもあるかのように理論付けされ、諭された。一皿一皿片付けていくことは許されなかった。
まだ10才にも満たない児童には反論の余地はなかった。

ぱさぱさとした、コッペパン。
ミルクとはほど遠い牛乳。
カレー以外は食べる気が起きなかった副食一品。

これらを三角食いすることは給食における大鉄則だった。
美味しいからと副食を先に食べてはダメ。パンだけが残るのはもちろんダメだし、ましてや牛乳の一気飲みなどは
完全に御法度だった。

数十年後の或る昼時、外にいたアタシは、マクドナルドでビッグマックのセットを買って腹を空かせている
我が社へ向かった。
そして、腹を空かせている若者に、ビッグマック、ポテト、コーヒーのセットを手渡した。

昼時の会話が始まった。

ハンバーガー好きの若者にはアタシの行動は好印象だったはずだ。
それを証拠に、テーブルは直ぐに談笑に包まれた。

5分後。
アタシの口元からだけは笑いが消えた。

一人の若者の手元を見ると、ビッグマックのその包装紙を解くこともなきその状態で、ポテトを完食していたのだ。

悪夢だ。

ダメダロー キミ。
キミはその状態でどうやって三角食いを遂行しようというのか。

既にポテトを完璧なまでに胃の腑におさめてしまったことにより、キミに残されたアイテムはコーヒーと
ビッグマックの2点しかないではないか。これでは、キミのポテトフライの油にまみれた口元は
ビッグマックとコーヒーのたった2点間の往復しかできず、ついにはポテトフライの思い出はこの両者によって
完全にかき消されてしまうだろう。

キミはポテトを他者をおざなりにする状態で先に完食してしまった。

それは、アタシにとっては取り返すことのできない絶対的なミスに思えた。
つい、目の前にぱっくり開いたポテトのにおいに釣られてしまい、本来のメインディッシュであるビッグマックを
包み忘れたままにしていたのだ。

こんな場面でも、心優しき慈愛に満ちた方なら、同情こそすれ揶揄のことばは慎むだろう。
しかし、アタシはそれほど人間ができているわけではないのだ。

言った、我慢できずに言った。
間違っていると、明確に言い放った。

小学生の頃、慈愛に満ちた言葉でアタシを諭してくれた担任の言葉、調子、そのままで言い放った。
間違っている、と。

その瞬間、社内の空気は一瞬にして淀みを増し、全員が上目遣いでアタシに不平の眼差しを向けてきた。

或る者は、口の端にポテトをくわえ、或る者はまさにバーガーの耳を袋から取り出そうとしていたし、
カーペットにシミが伝わることで、別のある者がコーヒーをこぼしてしまったことアタシには想像できた。

瞬時にしてアタシは事態の深刻さを感じ取った。
なぜなら、アタシに不審の目を向けた若者は全員が彼同様にポテトを完食し、あるいは完食しかけ
バーガーの耳に手を出そうとしていたのだ。

多勢に無勢とはこのことだ。いくら自分に正義があろうとも、いくら三角食いが永遠不滅の偉大な
食事作法であったとしても、法は最終的にマジョリティたる大衆によって成立するのだ。

もう止そう、君たちとは文化が違うのだ、宗教が違うのだよ。自分を正義だと思い、
勝手な理論を振りかざすのはやめよう。

アタシはその場の険悪な雰囲気をおさめるために大人としての対応を試みた。

しかし、しかしだ。ここまでアタシが譲歩しても場の雰囲気は一向に改善しない。それどころか、
彼らの眼差しはますます険悪の度を増していった。

カーペットのシミを拭く振りをしながら、この場をどうやっておさめるかを考えているときに、
ふと、自分の手元を見て、アタシはのけぞり返った。

アタシのセットからはバーガーが消えて無くなり、ポテトがそっくり残っていたのだ。
アタシは、ポテトとコーヒーの二角食いをせざるを得なかった。

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