ゆっくり死者を悼むことさえ許されない。

自粛の話です。

もう震災後ひと月が過ぎました。しかし四十九日はまだだし、喪はまだまだあけてはいません。身内や家族の行方が分からない方、その生死さえ分からず、供養もできない方々が数えきれないほどいらっしゃる。そして新聞、テレビはその悲しみを連日伝えます。あとわずか数メートルの距離で手を伸ばしたのに届かなかった妻のことを話す夫。三人の子を一瞬で失った母親。今まさに悲しみが洪水のように日本列島を襲っています。

ちっとも被害を受けなかった私でさえも体のどこかが何か不調な感じがし、精神的に起き上がりづらい、立ち上がりづらいという状態です。

しかし、悲しみを伝えるメディアが一方では自粛の解除を訴えています。被災地の方々さえもが自粛はしないでほしい、ぱっと花見をしてほしいと訴えています。訳知り顔に911の時にニュヨークのコッチ市長は、通常の生活をして下さい、消費活動を止めないでと訴えていたではないか、日本もそうしなければならいない、でなければ経済が回らくなると経済通は訴えます。

確かにそうなのでしょう。皆が自粛を続け消費を控えてしまえば、経済は回らなくなり日本全体が沈没してしまいます。

少し大げさかも知れませんが、私たちが住まう市場主義社会というのは何とも因果な社会なのだと思わないわけにはいきません。

ゆっくり死者を悼むことさえ許されないのです。

生産→消費→生産→消費と歯車を走り続けるネズミのように、走り続けなければならないのが市場主義社会なのだと思い知らされます。こぐのをやめたら餌はもらえません。

ただ、一方で、いつまでも悲しみに浸っていることだけが是であるわけでもなく、死者を乗り越えていくことが死者への弔いであり、未来を切り開いていくことが悲しみに打ち勝つ最良の方法でもあるのだとは思います。

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