「成功をいつでも、どこでも」カテゴリーアーカイブ

靴、踵、そして心の位置。

ピンクッション(Pincushion):花言葉は、成功はどこにでも。
ピンクッションとは針刺し、針山、針台のこと。名前の由来は、雄しべが無数に刺さっているような形状から名付けられたのだろう。そして花言葉の傾向として絶対ポジティブ発想なので、その無数の雄しべを成功ととらえ、成功はどこにでもあるんだと言い切ってしまったのだろう。

新年明けましておめでとうございます。元旦とともに社内向けに送信したメールを一部内容を変えて投稿します。

 

皆さん、明けましておめでとう。

新年ということもあります。
年末に送られて来たメールのスレッドに触発されたのですが、今、1月1日、僕の心に浮かんだ靴、踵、そして心の位置をお話させてください。

”いつも踵を上げておきましょう。”とか”靴に足を合わせるのではなく足に合った靴を履きましょう。”とか、僕は足にこだわった表現をよくするかと思います。
それは当たり前のように大地に根ざす足というのがとても大切だと考えているからなわけですが、お正月ですし、改めて少し解説させてください。

まず、何のために踵を上げるかですが、これは心の位置を上げるためです。

心ってどこにあるのか、頭にあるのか心臓のあたりにあるのかはたまた丹田と呼ばれるところにあるのか、それは分かりません。
ただ、心が身体のどこかにあるであろうことは皆さんも感じるところだと思います。
そして、心を高めるとは、これも僕が日頃よく口にする利他の精神そのものなのです。

人を愛するという、その愛するという行為は頭でやっているとは思えないですよね。心がどうしようもなく揺さぶられた状態なわけで、そんな心がきっとどこかにある。
もちろん、心身を一体と捉えた一元論的な考えもありますが、ここでは、一元論、二元論を問いたいわけではありません。

人間は動物としてこの世に生まれてきていますから、本能としての利己、つまり
自分が最優先という自己中心、自己防衛のようなものが身体の中心にあるような気がするかも知れませんが、僕は身体の中心にあるのは、その本能ではなく、心であると思っています。
心が身体の中心に位置しています。

そして、その心は森羅万象とつながる魂に支えられているような気がします。
ですから、心は所有できますが、魂の所有は不可能です。

これ以上の言及はいけませんね、スピリチュアルな話しは僕は好きですが、魂についてはここらにしておきます。

ただ、この時点でも、これは、目に見えないことを話しているので、理屈は通りませんから、あまり説得力もなく、通じない人には全く通じないと思います。
ただ、僕はそう思っています。

本題に戻ると、心を高めるというのは、心を覆っている生物としての本能つまり利己の部分をできるだけ抑え、利他という魂に繋がっている部分を高めていくことに他なりません。

だけど、現実社会においてはそれはなかなか難しいことです。
やはり、自分は可愛いし楽をしたいですから、心を高めよう、心の位置を上に持ってこようとしてもなかなか上がってくれません。

そこで、身体的に踵を上げておこう、そして物理的な高低差でもって心の位置を
高めておけば、視点も高くなるし、自分よりも他者の方が見えやすくなるので、
間接的な方法だけど、心も踵の高さに合わせて上がってくれるのではないだろうかと考えてのことです。

そして、踵が上がっていれば直ぐに反応できますよね。
すぐに走り出すことができます。
目の前で起こっていることに対して、素直に素早く反応できます。
そして、心の位置が上がっていればその行動に対して何ら恥じることも気にすることもないわけです。

これが踵を上げておくということの真意です。

 > ゴキブリめちゃくちゃ動きは素早いんで、
> その点は少し、 見習う?部分なのかもしれません。

**君のことを揶揄した言い方になってしまっていますが、僕がゴキブリとかってのをよく引き合いに出すのは、踵のない動物としての象徴です。
つまり、ゴキブリとかは踵そのものがないので心を高めようにも高めることのできない状態のことなのです。
それでもって素早く動いているだけなので、そのことには全く意味がないですよと
言っているわけです。

”靴に足を合わせるのではなく足に合った靴を履きましょう。”

これは、踵が中心になってはいますが、より実践的とも言えると思います。

僕らの仕事に関わらず、仕事というのはある意味妥協の産物であったりします。
この場合の妥協とは、相手や会社に対してのもあれば自分自身への妥協もあります。
しかし、靴に足を合わせた状態では走りたくても困難です。
靴擦れできるし、マメもできたりして歩くことさえ困難です。それでも無理して歩いたり歩かされると心と身体の乖離が起こり始めます。

僕は社長だし、面接もよくやってますがその時に一番考えるのはこの部分でもあります。
当社は転職でやってこられる方が大半ですから、前職でなんとか靴に足を合わせようとして苦労されたきた方がよくやってこられます。
その時に、踵も上げるんだという視点がないと100%靴擦れを起こします。

それはそれで仕方がないのだけど、人の人生は自分に合った靴を探し出し、作り出すことだと思うのです、そうでなければ思いっきり走れないのです。
つまり、魂が燃焼しない。
靴が自分に合っていないと直ぐに不完全燃焼を起こしてしまうのです。

ですから、当社で自分に合った靴を探し、或いは自らが作り出すことができる人を結果的には採用させていただいているように思います。
幸い、当社がそういった事業ドメインにある会社だというのもありますが、これも自分に合った靴を探していたらここに辿り着いたのだとも言えます。

こういったことは、先に話した踵を上げることにつながっていきます。
心が上がった状態で作りあげた靴は自分だけでなく、必ず社会をも幸せにするからです。
でも、本能で作り上げた靴はダメです。
今度は、他人に痛みを強いてしまうのです。

当社は外から見ていると、緩くて楽しそうに見えると思います。
休日は多い方だし、残業が会社や上司から強いられることはありません。
でも、やろうと思えば幾らで残業は生まれる環境でもあります。一歩間違うと直ぐにでもブラック化しうる会社です。

そして、そうやって緩そうに見えても、自らの踵を上げ、自分に合った靴を探すという自己成長を強いられた会社でもあります。

ですから、言われたことを汲汲としてこなすことに慣れ、それを例えば生活や出世のための当然の行為だと考えている人にはとても居心地が悪いものとなるでしょう。

そういった環境を苦ととるか楽ととるかは君たち次第だけど、僕は楽ととり、叱咤激励、切磋琢磨しあいながら前に進めば、素晴らしい未来が待っているように思います。

信頼コストを限りなくゼロに近づけ、自己の成長が真っ直ぐに自分に跳ね返ってくる企業を作ることが、今年に限らず、自分自身の永遠の目標です。

年末に行ったセミナーを通じてもそれは正しい姿だし、企業のあるべき姿であると僕自身は再確認しました。

新年ということもあり、自分自身が今朝起きて今考えていたことを述べさせていただきました。

平成三十一年 元旦

きのわき

Dai暦25年

ピンクッション(Pincushion):花言葉は、いつでも、どこでも成功を。
なんとも25期にふさわしい花言葉ですね。そしてその花言葉の由来は、この花の見た目。おしべが空に向かって一斉に勢いよく伸びている様からつけられたようです。人にも花にも勢いっていうかそういうのが大事で、それが成功を予感させるんでしょうね。

Dai暦25年

当社の会社設立は平成6年9月1日ですから、会社としては第25期目に突入し、満24周年を迎えたことになり、来年はいよいよ満25周年です。すごいなって自分でも感心します。約1/4世紀ですよ。

昨日のアサカイで、満25周年の挨拶をアサカイリーダーから求められた僕は、慌ててしまいました。なぜって何も用意していなかったし、25周年と言われて、あれ?そうだっけみたいな感じでした。

ま、それなりにグダグダした話しをしたのですが、もしも期待していてくれた人がいてたら済みませんでした。

そして、このアサカイとも関係しますが、アサカイの冒頭にリーダーが指名した方がその日の年月日と共に一声、おはようございます!って話します。そして、それに続けて他の人も声を合わせます。

今日で言うとこんな感じです。

”2018年9月5日、アサカイ始めます、皆さんおはようございます!”

”お早うございます!”

アサカイでは西暦で言う方が大半です。というか全員が西暦です。何でだろう、和暦、元号は嫌なのかな。9月5日って言っている月日の部分は他に言い方はないのですが、その前に付ける年号は何だって良いはず。

僕があいさつするときには、今年であれば、昭和93年**月**日とか、明治150年**月**日って言い方をします。

昭和93年って言い方をする理由はご存じの方も多いと思いますが、営業に行ったときとかに、相手の生年月日の話題になったときとかに、昭和世代ってことはまだまだ多いですから、その方が昭和50年って言ったら、93-50=43歳ってすぐに分かるわけですね。そういう便利な意味も込めて昭和93年って挨拶したりします。

明治150年**月**日ってのは、一つの区切りでしょ。

それと同時に何だって良いはずというのがあります。別に年号は西暦で言わなければならないと決めているわけでもなんでもないです。キリスト教しか認めていないわけでもなんでもないです。

タイ国のように、あそこは仏歴ですから、お釈迦さんがなくなってから何年というのが年号になっていると思います。キリストが生まれてから何年という西暦とは逆になってるところが面白いですよね。

他にも、イスラーム暦やユダヤ暦だってあるはず。

決めてもいないのにどうしてみんな決まった言い方をするんだろう。

ただ、今度平成が終わって新しい元号が始まった時には、省庁とかは西暦に統一するらしいですね。ま、それは合理性という意味で良いとは思います。コンピュータと年号って、今度のオリンピックに関係してのサマータイム導入云々でも大きく問題になってますし、難しいですよね。

そんなこんなで、自社の設立記念日に元号とか年号とか考えて思ったの。

今の社会の暦って、宗教的人物、開祖の生まれた年、死んだ年とか、統治者が統治した時代とかが中心になっているのだけど、だったら、だったら、もっとエゴイスティックに設立暦で良いのではないの?

”Dai暦25年9月5日、アサカイ始めます、皆さんおはようございます!”

あくまで洒落ですからね。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

嵐山渡月橋、台風21号の爪痕です。毎朝チャリンコでこの橋の上を通るわけですが、今朝は欄干がなぎ倒されていました。増水はそこまでなかったので、これは風による力。割と水や風を逃がす構造になっているはずなのにこんなになってしまってます。人や車がこの上を通っていたら軽くとばされていたのでしょうね。
毎年、毎年、この渡月橋が自然の力に倒される頻度が高くなっていっているように思います。