「花言葉 Language of flowers」カテゴリーアーカイブ

ブログ書くだけではつまらないので、エントランスに活けてある花の言葉に載せるようにしたけど、ハードルが上がってしまった…。

オープン、フラット、シンプル。

アガパンサス(紫君子蘭)(African lily):花言葉は、”ラブレター”だけど語源が良い。ギリシア語の愛(Agape)と花(Anthos)をくっつけてるというのだから。それに和名には君子という文字が入ってる。君子とは徳が高く品位のある人のことですから、この記事には相応しいんじゃないかなー。

会社経営で目指すのは、オープンでフラットでなおかつシンプルで。

入社を控えた方とメールのやり取りをしていて、彼に自社の経営方針とか何とか話していると、日頃から使っている頻度が高いこれらの言葉が口を突いて出てきました。

オープンに、多くの場合、情報をオープンに。つまりディスクローズしていくことですけど、これは外に対してももちろん内側に対してもです。情報のオープン化こそが”信頼”を得るための最善のツールだと考えます。
良いことも悪いこともちゃんと伝える。そのことで社外から信頼を得ることができるはずです。そし内にあってはいわゆる疑心暗鬼のようなものが社員間に生まれることを防ぎます。つまりオープンにすることが最も信頼を得るには最適な手段だと。何より、自分自身の精神衛生上もプラスですしね。

フラットは会社組織に掛かってきます。物理的な壁を設けないと同時に心理的にも壁をなくしいつでも爽やかな風が吹き通すような組織が理想でしょう。
これを言ってはいけないと抑制の気持ちが起きることが一番よくない。
それは組織に壁があるからなのですが、日本人が得意とする忖度も一種の壁建設に拍車を掛けているものの一つだと思います。いくら会社が壁を取り除きフラットな組織を作っても個人が自分の心の中に壁を築いてしまっている場合があります。こっちの壁の方が強固で一際高くそびえ立っているのですが、これをいかにして崩していくのか、これは組織と個人との共同作業のようなところがありますね。

そして、シンプル。これは考え方。ものごとをシンプルにシンプルに考えていく。会社組織というものは、時間を経ると次第次第に何かが溜まっていきます。それは物もそうだし、考えもそうです。
これは要るのか、本当に必要なのか。やりたいのは何なんだ、そのためにこれをやる必要があるのか。本当は必要ではないものがいつの間にか溜まっていきます。それが思考を妨げていきます。

シンプルに考えれば答えはすぐそこにあるのに。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

かっこいい人。

 

アリウム・シュヴァルティ(Allium):花言葉は、星のように輝く。上へ上へと伸びていっている感じが良いな。

”仕事ができる人はかっこいい。”

この格好いいとはなんだろう。見た目もあるんだけど、見た目はすぐにぼろが出るし、見た目は内から出てきたものが大半なので、やはり内側が根底にあるのだと思う。

僕は、自分らしさが臆面もなく出てしまっている人が格好いいのだろうと思う。人は誰しも規範を持っている。一般的には道徳観とか倫理観とかそういった人類共通の規範を持っているわけど、それを中心に持ちながら、最大限自分らしさが出ている人、そういう人が格好いいのだろうと思う。

なぜなら、それはとても難しいことだってみんな分かってるから。100mを9秒台で走ることが難しいって分かってるから、それをやっちゃう人はかっこいいってすぐ分かる。仕事も同じだろう。

社会や会社の規範を無視して良いというわけではないが、それを言い訳に自分を出さない人間がどうにも多いように思う。規範は自分自身の中におき、それを誰よりも強いものとし、自分を出す。メチャクチャ難しいこと。だけど、挑んでほしいな。 新人君。

規範について考えていたら、日本看護協会の”倫理とは何か”というページに当たった。
その中で、”多くの看護職は、「真実を伝える」ことの正しさよりも、「患者の意思を尊重する」ことの正しさを優先するのではないでしょうか。”と職業倫理と道徳について突っ込んだ考えが示されていた。 何が真実で何が嘘なのかというのを越えたところにある職業倫理。

そして、倫理と道徳の違いなどまでは考えるけれど、そこでは法も加えて考えてあった。なるほどなって思いました。命を預かる現場の人たち、道徳、倫理、法のはざまでどう判断し、どう行動していくのか、答えはない。ただ、日々勉強し努力し続けることなんだろうなって思います。
そして、それが感じられるようなかっこいいナースの方に時々会うんだよね、これが。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

ただ、励ますのじゃない。

風船唐綿(Cotton bush):花言葉は、秘められた能力 。
花言葉のその心は、別の投稿でも同じことを書いてますが、この花は花を下向きに開くんだけど、中に蜜をたくさん持っていて、それが地面に垂れて昆虫をたくさん引き寄せることからイメージされたようです。もう一つには、このフワフワの風船のような形状。この悩んでいる男も実にフワフワしているわけですが、この中にはいっぱいの夢、実際この中には羽根の付いたタネがぎっしり詰まっていて、いったん熟すと風に乗って大きく飛散することから秘められた能力という花言葉が生まれたようです。
**君、いつか思いっきり飛んでいきなさい、だけどそのために今、です。

昨年末、もう間もなく入社5年目を迎えようという男が、入社二ヶ月で苦しみ悩んでいる男に送ったメールです。このメールをCcで見た時に、おー、こいつ良いこと言いよるな、これこれ、僕が目指している叱咤激励、切磋琢磨やん!って思いました。叱咤激励ってただ励ますだけの、がんばれ、がんばれじゃない。ちゃんとその意味と目的を含ませなきゃいけない。文章もよくまとまっているので、Blogに載せても恥ずかしくない(ちょっと偉そうですが、なんせ僕は社長なんで)、新年にもふさわしいので投稿させていただきます。株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

 

**君、仕事を好きになる努力をすることです。
好きになる努力とは、今日よりは明日、明日よりは明後日と、次から次へと創意工夫を重ねていくことです。
よく、「好きな仕事がしたい、好きな職業に就きたい、だけどそれが手に入らなくて悩んでいる」という人がいますが、
好きな仕事というものは簡単に手に入るものではありません。
目の前に好きな仕事があるということは、まずありません。
だから、今自分に与えられた仕事を好きになる努力をすべきだと私は思うのです。
現実は大変厳しいです。つらいかもしれません。
でも、好きになろうと努力するんです。自分で考えて創意工夫をするんです。
その創意工夫で成果があがれば、人間というのはおもしろいもので楽しくなってきます。
そしてその仕事が本当に好きになっていきます。言い換えれば、仕事をルーティン化しないということですね。

俺、今フランチャイズ馬鹿やけど、入った当初、別にフランチャイズなんて全く興味なかったわ。

K.N.

金持ちになりそうだ。

万両(Coralberry):花言葉は、寿ぎ(ことほぎ)
正月の縁起物として飾られる。当社玄関先でも正月の定番だ。
赤い実が熟してもなかなか落ちない様子から財を成すことが連想されたのだろう。

初夢というのは、正月一日か二日にみた夢のことを言うらしいですが、それで言うと僕の初夢は結構な初夢だったのではと思います。

メデタイ初夢とは、昔から、一富士二鷹三茄子と決まっていますが、その続きには、四扇五煙草六座頭が控えています。5番目の煙草は煙が上がっていく様子が運気の上昇を意味するようです。

さて、こんな夢でした。

僕は事情があって二十歳の頃に禁煙したのですが、今でもそのタバコの味というのは覚えています。そんな僕が、夢の中ではタバコを吸っていましたが、吸っていると煙ではなく、タバコの葉っぱが口の中に入ってきて気持ちが悪くなってきました。

そこで、水を探して公民館のような建物に入り、洗面所に向かうのですが見つけた洗面台はとても小さく、しかもそこには色とりどりの花が活けてあるので、水道をひねって水は出てくるのですが、口を近づけて水を飲むためにはそれらの花をどけるか引っこ抜くかしないといけません。水を両手ですくおうとするのですが、花が邪魔をします。口を蛇口に近づけようとしてもやはり花が邪魔をします。

それで、僕はその洗面台は諦めて、ふと横を見るとそこには大きなツルツルのきれいな洗面台があり、花は活けてなく、水は水道からほとばしっていました。

僕は、そちらに歩いて行って、そこで両手で水をすくい取り思いっきり飲み干したところで夢から覚めました。

初夢と限らず心理学的に分析すると、非喫煙者の僕が喫煙の夢を見るのは明らかに何かを変えたい、気分を変えたい欲求の表れ。そして、水は生命力や財力の象徴です。

僕、今年はとんでもなくお金持ちになるかも知れません。

きのわき

靴、踵、そして心の位置。

ピンクッション(Pincushion):花言葉は、成功はどこにでも。
ピンクッションとは針刺し、針山、針台のこと。名前の由来は、雄しべが無数に刺さっているような形状から名付けられたのだろう。そして花言葉の傾向として絶対ポジティブ発想なので、その無数の雄しべを成功ととらえ、成功はどこにでもあるんだと言い切ってしまったのだろう。

新年明けましておめでとうございます。元旦とともに社内向けに送信したメールを一部内容を変えて投稿します。

 

皆さん、明けましておめでとう。

新年ということもあります。
年末に送られて来たメールのスレッドに触発されたのですが、今、1月1日、僕の心に浮かんだ靴、踵、そして心の位置をお話させてください。

”いつも踵を上げておきましょう。”とか”靴に足を合わせるのではなく足に合った靴を履きましょう。”とか、僕は足にこだわった表現をよくするかと思います。
それは当たり前のように大地に根ざす足というのがとても大切だと考えているからなわけですが、お正月ですし、改めて少し解説させてください。

まず、何のために踵を上げるかですが、これは心の位置を上げるためです。

心ってどこにあるのか、頭にあるのか心臓のあたりにあるのかはたまた丹田と呼ばれるところにあるのか、それは分かりません。
ただ、心が身体のどこかにあるであろうことは皆さんも感じるところだと思います。
そして、心を高めるとは、これも僕が日頃よく口にする利他の精神そのものなのです。

人を愛するという、その愛するという行為は頭でやっているとは思えないですよね。心がどうしようもなく揺さぶられた状態なわけで、そんな心がきっとどこかにある。
もちろん、心身を一体と捉えた一元論的な考えもありますが、ここでは、一元論、二元論を問いたいわけではありません。

人間は動物としてこの世に生まれてきていますから、本能としての利己、つまり
自分が最優先という自己中心、自己防衛のようなものが身体の中心にあるような気がするかも知れませんが、僕は身体の中心にあるのは、その本能ではなく、心であると思っています。
心が身体の中心に位置しています。

そして、その心は森羅万象とつながる魂に支えられているような気がします。
ですから、心は所有できますが、魂の所有は不可能です。

これ以上の言及はいけませんね、スピリチュアルな話しは僕は好きですが、魂についてはここらにしておきます。

ただ、この時点でも、これは、目に見えないことを話しているので、理屈は通りませんから、あまり説得力もなく、通じない人には全く通じないと思います。
ただ、僕はそう思っています。

本題に戻ると、心を高めるというのは、心を覆っている生物としての本能つまり利己の部分をできるだけ抑え、利他という魂に繋がっている部分を高めていくことに他なりません。

だけど、現実社会においてはそれはなかなか難しいことです。
やはり、自分は可愛いし楽をしたいですから、心を高めよう、心の位置を上に持ってこようとしてもなかなか上がってくれません。

そこで、身体的に踵を上げておこう、そして物理的な高低差でもって心の位置を
高めておけば、視点も高くなるし、自分よりも他者の方が見えやすくなるので、
間接的な方法だけど、心も踵の高さに合わせて上がってくれるのではないだろうかと考えてのことです。

そして、踵が上がっていれば直ぐに反応できますよね。
すぐに走り出すことができます。
目の前で起こっていることに対して、素直に素早く反応できます。
そして、心の位置が上がっていればその行動に対して何ら恥じることも気にすることもないわけです。

これが踵を上げておくということの真意です。

 > ゴキブリめちゃくちゃ動きは素早いんで、
> その点は少し、 見習う?部分なのかもしれません。

**君のことを揶揄した言い方になってしまっていますが、僕がゴキブリとかってのをよく引き合いに出すのは、踵のない動物としての象徴です。
つまり、ゴキブリとかは踵そのものがないので心を高めようにも高めることのできない状態のことなのです。
それでもって素早く動いているだけなので、そのことには全く意味がないですよと
言っているわけです。

”靴に足を合わせるのではなく足に合った靴を履きましょう。”

これは、踵が中心になってはいますが、より実践的とも言えると思います。

僕らの仕事に関わらず、仕事というのはある意味妥協の産物であったりします。
この場合の妥協とは、相手や会社に対してのもあれば自分自身への妥協もあります。
しかし、靴に足を合わせた状態では走りたくても困難です。
靴擦れできるし、マメもできたりして歩くことさえ困難です。それでも無理して歩いたり歩かされると心と身体の乖離が起こり始めます。

僕は社長だし、面接もよくやってますがその時に一番考えるのはこの部分でもあります。
当社は転職でやってこられる方が大半ですから、前職でなんとか靴に足を合わせようとして苦労されたきた方がよくやってこられます。
その時に、踵も上げるんだという視点がないと100%靴擦れを起こします。

それはそれで仕方がないのだけど、人の人生は自分に合った靴を探し出し、作り出すことだと思うのです、そうでなければ思いっきり走れないのです。
つまり、魂が燃焼しない。
靴が自分に合っていないと直ぐに不完全燃焼を起こしてしまうのです。

ですから、当社で自分に合った靴を探し、或いは自らが作り出すことができる人を結果的には採用させていただいているように思います。
幸い、当社がそういった事業ドメインにある会社だというのもありますが、これも自分に合った靴を探していたらここに辿り着いたのだとも言えます。

こういったことは、先に話した踵を上げることにつながっていきます。
心が上がった状態で作りあげた靴は自分だけでなく、必ず社会をも幸せにするからです。
でも、本能で作り上げた靴はダメです。
今度は、他人に痛みを強いてしまうのです。

当社は外から見ていると、緩くて楽しそうに見えると思います。
休日は多い方だし、残業が会社や上司から強いられることはありません。
でも、やろうと思えば幾らで残業は生まれる環境でもあります。一歩間違うと直ぐにでもブラック化しうる会社です。

そして、そうやって緩そうに見えても、自らの踵を上げ、自分に合った靴を探すという自己成長を強いられた会社でもあります。

ですから、言われたことを汲汲としてこなすことに慣れ、それを例えば生活や出世のための当然の行為だと考えている人にはとても居心地が悪いものとなるでしょう。

そういった環境を苦ととるか楽ととるかは君たち次第だけど、僕は楽ととり、叱咤激励、切磋琢磨しあいながら前に進めば、素晴らしい未来が待っているように思います。

信頼コストを限りなくゼロに近づけ、自己の成長が真っ直ぐに自分に跳ね返ってくる企業を作ることが、今年に限らず、自分自身の永遠の目標です。

年末に行ったセミナーを通じてもそれは正しい姿だし、企業のあるべき姿であると僕自身は再確認しました。

新年ということもあり、自分自身が今朝起きて今考えていたことを述べさせていただきました。

平成三十一年 元旦

きのわき

ってなんだろう?

シンピジウム:華やかな恋、ケイトウ:色あせぬ恋 シンフォリカルボス:献身的な愛、テマリソウ:純粋な愛。
恋にも愛にも色々あるなー。

会社ってなんだろう、働くってなんだろう、生きるってなんだろう……。

考えてもそこに答えはないことは分かってる。

この宇宙は凡そ137億年前、ビッグバンという現象によってただの一点だったものがビッグバン、大爆発を起こし、その時に空間と時間が生まれ、それから膨張に膨張を重ね今の宇宙が形成され、その時間の流れのどこかで銀河が誕生し、そして人類が生まれたとされている。

だけど、そこまでは科学的知見として分かったとしても、では、そのビッグバンの前はどうっだのかというとこれは誰にもわからない。

それは、神が作りたもうたのだよと宗教的境地に至らない限り、わからない。
永久に答えはわからない、

僕たちは今こうやって存在しているけど、それがどんな目的でいつ生まれたのか分からない。

人はどこまでいっても自分自身がどこから来たのか分からないのだから、生きることの意味を問うことは意味のないことかもしれない。

だけど、考え続けることで近づくことはできるような気がする。

愛とは何かは愛する人がそこにいて初めて分かるように、
仕事とは何かは仕事を通してでしかわからない。

愛する人にぶつかっていき、仕事にぶつかっていき、そして、ぶつかっていって、はじき返されて、失敗していかないと分からないし、近づくこともできない。

そうやって失敗しながらでも、そこにあるのは何だろう、それを考えている自分は何だろうと考え続けることで、人にはある種の共感にも似た心が芽生えるような気がする、育まれる気がする、いや、見えてくると言った方がいいかもしれない。

なぜなら、それを知れば知るほど、近づけば近づくほど、切なくて愛おしいものと思えてくるから。

当社にエンジニアのたまごが入社してきた。
元教師というあまりない前職。

しかし、彼が、学校とは何なのか、教師とは何なのか、教えるとは何なのかを真剣に考えてきたであろうことは面接の場で伝わってきた。

楽しみだ。

さー、これからは会社とは何かをプログラムを通じて考えてくれ。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

電車遅れまして誠に申し訳ございません。

イトスギ(Cypress):花言葉は、死、哀悼であり、絶望、永遠の悲しみである。
そんな悲しい花言葉のいわれは、ギリシャ神話のキュパリッソスから来ている。或る日、キュパリッソスは自分が大切にした牡鹿を誤って自分の投槍で殺してしまい、悲痛にくれた末に、神々に悲しみの象徴であるイトスギに姿を変えてほしいと願ったことからとされる。
それ以外にもイエスキリストが磔にされた十字架が作られた木であるとか、ゴッホの描く絵の題材にもよく取り上げられ、有名な「糸杉と星の見える道」などがあったりと、死を連想させる花である。しかし、一方でイトスギは生命や豊穣のシンボルでもあり、レバノンの国旗にはレバノン杉としてこの木が描かれている。

身近な話題として、会社を紹介する手段として僕はよく当社のアサカイの様子を伝えますが、今日もまたそのアサカイの話しです。

今週半ばぐらいでのアサカイのことです。

アサカイの一つのルールとしてアサカイには全社員が参加というのがあります。朝の9時、つまり始業と同時にアサカイなので、たとえば遅刻の人がいたりしたら、アサカイの開始を遅らせます。

よくある朝礼とかだと、開始時間は決まっていて遅刻者に合わせて時間をずらすと言うことはあまりないかと思いますが、当社では開始時間をずらします。出張などで外にいる人はSkypeなどで参加します。

アサカイは休暇の人を除いて全員参加が大原則です。

さて、その日は電車の遅延が発生し、ダイヤに乱れが生じ出社が遅れるという連絡がAL(アサカイリーダー)に入り、ALが開始を遅らせることを決定しました。遅延発生の理由は”人身事故によるもの”ということでした。

約15分ほど遅れてきた彼に、ALの掛けた言葉が、「**さん、お疲れさまでした。」ということばでした。ダイヤが乱れもみくちゃにされたであろう彼を気遣ってのものでした。都内の通勤ラッシュをご存じの方なら、こうしてダイヤが乱れたときの車内状況は容易に想像できると思います。結構ひしめき合った状態で、乗っているだけで身も心も疲れホームに投げ出された時に初めてホットするぐらいです。

そして、その”お疲れ様でした。”といういたわりの言葉を聞いて、僕はどうしても一言発言させてもらいたい衝動に駆られました。アサカイでは僕は極力発言は控えています。僕がしゃべると朝礼になってしまうからです。

だけど、今朝はどうしても発言したかった。

”ALの**くん、確かに彼はもみくちゃになってやってきた。それをいたわる君のことばも分かる。しかし、お疲れ様はないのではないか。電車が遅れた理由は人身事故なんだよね。その言葉は多くの場合、人一人の命がそこでなくなっていることを意味しませんか。君がそれを知らないわけはないでしょ。どんな理由かは分かりません、そのことでダイヤが乱れ迷惑だと思う人もいることでしょう。でも君はそういう人なのか?命の重さが分かり、哀悼の意を理解する人間ではないのか。その人間がお疲れ様という言葉をこの状況で発するのは、僕には信じがたいのだよ。”と。

直後、彼もハッと気づいてくれました。なんかおかしいと思いながら不用意な発言をしてしまったと言ってくれました。

考えすぎかも知れません、言い過ぎかも知れません。しかし、彼のお疲れさまという言葉は、5年前のちょうど今の季節に書いたブログ、人身事故の直後に車掌の発する、”電車遅れまして誠に申し訳ございません”と同じ響きに聞こえたのでした。

糸杉と星の見える道

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

写心

ニューサイラン(carnation):花言葉は”素直”
この花の読み方がふるってます。
なんでもこの花の原産地はラグビー世界最強オールブラックスを有するニュージーランドなんだそうです。そしてその国を漢字で表すと”新西蘭”なんとも美しい漢字です。ニューを新と当てて、西蘭でジーランと発音させるのでしょうか。
そしてそして、それを花の名前に持ってくるときには、新だけをニューと発音させ、他はサイランと音読みにし、それをくっつけて”ニューサイラン”
肝心の花言葉は、すらっと真っ直ぐに伸びたその姿から、「素直」。
スラッ!真っ直ぐ!ってのが花でも人間でも素直を表しますね。

写真は写心ではないかと思う。

昔と違って、写真は誰でも撮れてしまうのが今です。

一昔前は(それより前は分かりません)、フィルム時代は結構大変でした。オートフォーカスなんてなかったのでピントを合わせるのが先ず大変。シャッター押せばそれだけで写真が撮れるなんてことはなかった。そして、ピントはあったとしてもシャッターを押せばそれは銀塩フィルムに焼き付けられて、現像処理をして、それを印画紙に焼き付けないとその目で鑑賞することはできなかった。時代にもよるが、シャッターを押してから早くても翌日まで、約一日、二日はかかっていた。デジタルではないので一回焼いたら元には戻らない。フィルム一本で36枚が限界。時間も費用も掛かったのが写真でした。

限られた人しか撮れなかったので、それなりに選ばれた人だけが写真を撮っていた。だから彼ら選ばれたとして技術も有していた。

しかし、今は違いますね。誰でもスマホをさっと撮りだして直ぐに撮れてしまう。

そんなに簡単に撮れるようになった今ではあるけれど、そうであるだけに、技術以外の要素が写真の出来の善し悪しを左右するようになったようです。

”一歩踏み込んだ写真”

これが良い写真のように思います。そして、一歩踏み込めるかどうかは、その時の自分の心次第。

心が前に行きたいと思うのか、もっと後ろにいたいと思うのか、それ次第で足が一歩前に行く。

だから、そこには自分の心が写っているって感じるんです。

一歩踏み込むのは、そこに近づきたいという衝動のようなもの。衝動に突き動かされたものは何かしらこっちにも伝わってくるものがあります。

そして、その衝動、つまり楽しい気持ちは被写体にも伝わっていくので、時に笑顔を時に驚きの表情を与えてくれます。

そんなこんなで、できる営業マンは写真撮るのががうまい。これ、僕の持論です。

彼らは被写体の気持ちに入っていきますから。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政

 

お掃除当番

ピンクのケイトウの花言葉は、気取り屋。
仕事って真剣にやればやるほど気取っていることはできない。

おそうじ当番。

人は当番作りたがりますけど、当番っていない方が良いですね。

当番がいると、レフト、センター、ライト、二塁手の真ん中に落ちたボールがヒットになります。

頭ぶつけ合っても、血タラタラ流れるかもしれんけど、絶対ヒットにしたらあかんと思うんです。

書きかけ…。

カッコ、笑い

白いアルストロメリアの花言葉は凜々しさ。カッコ笑いなんていらない。おもねることなく、自分は自分、真っ直ぐ返そう。

ときどき、いやかなりの頻度かな、自分が書いた一文の後ろにカッコ笑いって付ける人がいます。

…(笑い)

これを見た時、僕はなんだか心の弱さを感じるんです。
なぜか感じるんです。
心理的に言い切りを避けている、断定表現を回避している心の現れのような気がするんです。
人間関係を円滑に回すという意味では、あっても良いとは思います。

絵文字やラインのスタンプなんかも日本特有ですね。言い切りを避けた日本人のコミュニケーション方法だと思います。

ただ、これって使う人は使うし多用するんだよね。見ていると若い方に多いですね、当然ながら。彼らにあっては人間関係がとても大切だったりするから分かるんです。

で、プライベートではよくても社内ではできれば避けてもらいたいと僕は思ってます。

なぜなら、会社というところは、社員と社員、会社と社員の切磋琢磨、叱咤激励の場であってほしいと思うからです。

ハートの強い人は、カッコ笑いは使わないと思うのです。

株式会社Dai 代表取締役 木脇和政